ところが、それを聞いてくれる友人、 同じ趣味を持った同志というものは、意外に少ない。何も知らない人は、 「同じパソコン好きどうし、おなじアニメ・マンガ好きどうしならば、 周りにいくらでもいるのでは?」と思うかもしれないが、同じパソコン好き、 アニメ・マンガ好きといっても、 ひとりずつ好みのベクトルの向きが微妙に異なっていて、 自分とピッタリ馬が合う人はなかなかいないのである。
これが、私がここに日記風の駄文を書き連ねる第一の理由である。 インターネット上での公開をもって「きいてきいて」 に代えようという魂胆である。だから、いちど別のところで記述した内容は、 あえてここでは取り上げないことがある。
もうひとつ、何か新しい知見があると、それを知っているということがこの世界における私の存在理由となってしまっている、という、 極めて病的といわざるを得ない現実が存在する。 つまり、いったん自らが得た知見が失われると、 それによって自らの存在をも否定されたかのような錯覚を抱くのである。
そこで、忘れる前に書いてしまえ、というのが、 この駄文の第二の存在意義である。
なお、このページでは、コンテンツを内容によって細分類し木構造を構成するという手法は採らない。 一応はテーマごとにページを分けてはいるが、それはあくまでも、 雑多な話題を煮込むための巨大なシチュー鍋にすぎない。
別のところで書いた内容は再掲しない、木構造は採らない ── これが可能になったのは、 かがくのちからの賜物であって、これについては、 私の大学の後輩が日記において的確に論述している (「『個人サイト』擁護論」の項を参照)。 要するに、ロボット型の検索エンジンに補足されてさえいれば、 わざわざ作者が整理して目次を作る必要はないのである。
なにしろ私自身、 自分のページのどこに何が書いてあったかを探すために、 「かがくのちから」のページを開設したのだから。
1422 年 9 月 管理人記す